Sam Cooke


 今朝、無性にSam Cookeが聴きたくなって、通勤の車の中でRCAのシングルコレクション(3枚組)を順番に聴いていました。一緒に歌ったっり、聴き入ったり、改めて最高だと思いました。何より、僕も人前でSam Cookeの曲を何年も歌っていますが、改めて本物を聴くと全然違っていて、恥ずかしいやら申し訳ないやら、何とも言えない気分になりました。で、やっぱり細かいところまでしっかりコピーしなきゃダメだ。何とか少しだけでも自分のモノにできないだろうか・・・と、考えておりました。
 で、昼休みに携帯でTwitterを見ていたら、今日はSam Cookeの命日という事に気づきました。きっとただの偶然です。でも、なんだか偶然じゃないような気が、いや、偶然じゃないと思いたい(笑)だから、何か残したい気分なので、今、頭の中に浮かんだ事を書きます。


 知っている人は知っていますが、僕はSam Cookeが大好きです。世界中には僕なんかよりもっと情熱的で熱狂的なファンがいると思うし、その素晴らしさを知る人たちは無数にいるので、今さら僕が素晴らしさを語るなんてどうでも良い事。ただ、僕はBluesやR&BやSoulなどの黒人音楽が大好きで、そういう音楽を聴いて感動して、演奏して楽しんで、いろんな人と出会って、人生が豊かになりました。その中でもSam Cookeは特別な存在です。彼の歌を聴くと心がキュンと切なくなったり、元気が出たり、励まされたり、目の前のありきたりな景色を特別なものに、かけがえのないものに変えてくれたりします。他の音楽でも同じように感じますが、感じ方が特別なんです。つまり、これが好きという事なのかな、と思います。


 ヒロキとマナブではSam Cookeを沢山演奏していますが、今年のOTIS’での出来事。カウンターで聴いていた女性が、ライブ後に「今日のセットリスト見せてもらえませんか?」と聞いてきました。何でも曲が気に入ったそうで、その場で曲名とアーティスト名を書いて渡しました。半分以上はSam Cookeでした。「僕らを聴いて良いと思ってくれたのなら、本物を聴いたら感動しますよ。是非、聴いてみてください。」と伝えました。とても嬉しそうにお礼を言われました。その時思ったのです。僕が出会えて良かったと思う音楽、僕の人生を豊かにしてくれた音楽と出会うきっかけをあの人に与えられた事。あの人がSam Cookeを聴いて感動している姿、Sam Cookeがあの人の毎日を豊かにしている姿を想像して、自分のやっている事に「意味」を感じたのです。


 僕は好きで音楽を演奏しているのですが、時々、なぜ続けているのか考える時があります。プロになれるような実力もなく、お金になるわけでもなく、ファンがいるわけでも無く、ただ好きな音楽を演奏して楽しみたい、少しでも良い表現をしたいという自分の欲求を満たす。それも確かに目的といえますが、ただ、自分では無くて、誰かの為に演奏する、求められて演奏する、誰かにとって価値のあるもの、そうなる事が本当の自分自身の欲求ではないか。そう考えると、自分はまだまだだな、と思うのです。ただ、あの日から僕の意識は少し変わりました。自分が好きな音楽は素晴らしい。その音楽と出会う機会を作れたら、それだけで自分のやっている事は意味のある事ではないか。僕の人生を豊かにしてくれた音楽を人に伝える事、それがその音楽への恩返しであり、使命ではないか。そんな事を思うようになりました。
まあ、こんな事を書くと壮大な感じがしますが、ただの音楽好きのちっちゃい戯言です(笑)要するに・・・自分が良いと思う音楽を演奏したりレコードかけたりして「これいいでしょ」と誰かに伝えて、聴いた人が「いいですね」とか「それ私も大好き!」と答えて「だよね〜!」と一緒に盛り上がる。これが最高に楽しいし、当たり前に繰り返しているこんな事が、実は価値のある事であり、僕が続ける理由なのかな、と思います。


 しかし、演奏するのもレコードかけるのも音楽を聴くのも、結局は・・・「好きだからやっています」が一番正しいし、わかりやすいですな(笑)