花火



土曜日は瑞浪市の七夕祭に行き、夜は花火を見ました。
瑞浪の花火を見るのは数年ぶりでした。
以前は小規模であっという間に終わるという印象でしたが、今回はかなり豪華だったと思います。
花火を見ながら親父の事を思い出しました。


僕の親父は僕が27歳の時に脳出血で倒れました。
それ以来、半身麻痺になったため、3年前に亡くなるまでの10年間ずっと介護が必要でした。
母親が亡くなってから、どうしようもなくなっていた親父の面倒を見ていたのですが、半身麻痺になってしまうと、さすがに日常の介護までは難しくなりました。
病院を探すのは大変でした。
何とか入れさせてもらった病院も数か月で出る事が多く、その都度、病院探しに右往左往しました。その後、ようやく長期間入院できる病院に入る事ができて、かなり生活が安定しました。
それでも2週間に一度は面会に行く事になっており、片道40分の病院へ7年くらい通い続けました。
入院中も肺炎になったり腎臓を患ったり脳に血がたまったり、その都度、仕事を休んで別の病院へ入院させたり、受診や検査を受けたりしました。
そんな時、よくお世話になっていたのが瑞浪市にある病院でした。
その病院は花火の打ち上げ場所から近くて、病室から花火がよく見えます。
ある日、面会に行った時に、どうしても優しくできない時がありました。
いろんな事を犠牲にして面倒を見る事、その割には報われないと感じる事、ただ疲れている事、いつまで続くのかわからない生活に憤る事、いろんな理由があったとは思いますが、僕もまだ未熟者なので、解ってはいるけれど、優しくできない時が定期的に訪れました。
そんな時はきまって帰り道に罪悪感が襲ってきます。
その日も、なんだかゆっくり喋る気がしなくて、早めに帰ろうとしていました。
そんな時に親父はボソッと、昨日は花火を見たよ。綺麗だった。と言いました。
僕は花火大会の事を忘れていたので、は?そんなもん見えるわけないだろ。と答えました。
親父は、昨日は花火大会だったから、そこから花火が上がってよく見えたよ。と答えました。
ふうん、そうか、よかったな。と言って、病室を出ました。
帰り道、いつものように罪悪感が襲ってきました。
一人で病室で横になりながら、花火を眺めている親父の姿を想像して、涙が溢れました。
親父は一人で起き上がる事はできません。寝返りも上手くできません。ただ目に入る景色を眺める事しかできません。
綺麗だと思っても伝える人がいません。
若い頃、元気な頃の花火の思い出とか、思い出していたのかな。小さい頃、親父とたくさん花火をやったな。
もっと傍にいてやればよかった。たった10分だけでも、親父にとっては大切な面会時間なのに。
もっと花火の事、思い出の事、聞いてやればよかった。
そんな事を考えて胸が苦しくなりました。
親父が倒れてからは、こんな事を何度も何度も数えきれないくらい繰り返していました。
親父が生きているときは、そんな感情の波が永遠に続くのではないかと思っていました。
苦しくて苦しくて逃げ出したい時や、おかしくなりそうな時が何度もありました。
今でも時々、いろんな事を思い出しては、胸が苦しくなる時があります。
でも、それは親父が僕に残した大切なものだと思っています。
今はあの10年間に感謝しています。


あの花火だったんだよな。
花火を見ながら、そんな事を思い出していました。


こんな事を書くのは恥ずかしいけど、忘れたくなかったので書きました。
湿っぽくてごめんなさい。