法 話


昨日、同じ職場の子のお祖母さんが交通事故で亡くなった。
日頃から祖父母孝行の子で、休日にお祖父さん、お祖母さんとどこかへ
出かけた話を聞く度に、小さい頃から祖父母がいなかった自分には
羨ましいような、なんというか・・・暖かい気持ちになれたのです。
あまりに突然の出来事に、その子の悲しみを想像しただけで胸が苦しい。
そして今日、お通夜に行った。
そこで聞いた和尚さんの話。
突然の別れに対し、どのような話をしたらよいのか・・・という言葉で始まり、
禅宗の僧侶、良寛さんの句を紹介された。
「形見とて何を残さん 春は花、山ほととぎす、秋もみじ葉」
自分は形見として残すものは何も無いけど、春に咲く花、山で聞こえる
ほととぎすの声、秋に見られるもみじの葉が自分の形見であり、それらを
見たとき、自分の事を思い出してくれたらいい。というような内容の歌。
突然の出来事に、別れの言葉も残せなかった故人も、きっとこのような気持ち
のはずです。この句を故人の別れの言葉として受けとって下さい・・・
という話だった。
普段、この手の話は聞き流してしまうけど、何故か今日は心に引っかかって
しまった。
確かに、何気ない時にふと母親の事を思い出す時がある。
それは思い出の場所や物に接した時だけでなく、本当に何気ない時、
例えば運転中や仕事の合間にぼんやりしている時、トイレの中にいる時なんか
にもやってくる。思い出や懐かしさだけではなく、亡くした時のやるせなさ、
してやりたかったけど、やり残した事に対する悔しさ、寂しさ、切なさといった
感情や胸の痛みが13年前と同じように甦ったりする。
何年も前に亡くなった人の事を突然思い出して、当時と同じような気分になるのは
自分だけだろうか、ちょっと変だろうか。。。と考える時もあったけど、
それらは母親の残した形見だという事に気付いた。
だからこれからは、そんな瞬間がやってきたら大切に味わおうと思う。