「清作の妻」



清作の妻 (1965年 大映 監督:増村保造 主演:若尾文子田村高廣小沢昭一 他)
貧しい家庭のため若くして呉服屋の隠居の妾になっていた若尾文子演じるお兼。隠居の急死により隠居の親族から手切れ金代わりの遺産を受け取り、母親と田舎の村に帰るが貧乏人と妾の娘というレッテルにより村八分の状態に。そこに模範的な青年である清作が軍隊から帰ってくる。清作によって村が活気づき、清作はますます村人の尊敬を集める若者に。そんな中、お兼の母親が急死。村人は無関心。正義感あふれる清作は葬儀を手伝い、次第にお互い惹かれ合っていく。全く正反対の存在である2人に対し村人の反応は否定的だが、清作は自分の愛を貫く。そんな中、日露戦争により清作が招集される。引き裂かれるような思いで清作を送り出し、耐えていたが、ある日、清作が怪我で一時的に村に戻ってくる。もう二度と離れたくない。再び、軍に戻る朝、お兼は清作の両目を釘で差し・・・という話。戦争に傾いていく世の中の空気、愛する人を戦争で失う悲しさ、無力さ、そういう観点で戦争映画、反戦映画という捉え方もされそう。しかし、これはたまたま時代背景がそうであっただけで、描きたいテーマはそこでは無いと感じた。模範的な青年というのは、自分の本心だけでなく、周りの空気や期待によって演じる事もあり得る。それはそれで苦悩があると思う。逆に演じる事を嫌い、自分の本心に忠実に生きようとする人にも苦悩がある。自分を貫く事によって村八分になり、孤独な毎日を送る寂しさや無力感、そんなものは人に理解されないと諦めながら生きてきて、それが解放された時の安堵感や希望、幸福感は計り知れないと思う。お兼に両目を潰されてしまい最初はお兼を恨んだが、時間が経過し、それでも愛情を取り戻す事ができたのは決して不自然では無く感じた。2年の服役を経て出所してきたお兼に対して清作は、目が見えず、戦争に行けなくなり、周りに売国奴扱いされ、孤独を味わう事で、お兼の孤独を理解したと話した。それを聞いたお兼がどれだけ幸せだったか。胸が熱くなりました。愛する人をどうしても離したくないという執念が狂気に結びつき、両目を釘で差してしまう場面は、肉体的な痛みに対してではなく、ええ〜っ、なんで?どうしてそんな事を・・・と思わず言いたくなる。心の痛々しさに目を背けてしまいたい気分になりました。これは純愛だけでなく、村八分にする村人達の冷酷な言葉をはじめ、それぞれの立場や環境により芽生えるエゴ、人間の強さとか弱さ、いろんなものが突き刺さる映画です。そして、この映画で見せる若尾文子の美しさと妖艶さは素晴らしく、白黒だからなおさら際立っている気がします。う〜ん、これは内容も若尾文子の魅力も素晴らしい、良い映画だと思う。